8月29日(土)曇りのち雨


  昨夜来の雨で一挙に涼しくなり、いよいよ夏も過ぎ去ったかの感。向こう数日の予報は日中の最高気温も概ね20度以下だ。

 昨日はアンナの誕生日だった。今年はサニーという究極の贈り物を授かるのだから、お互いの誕生日プレゼントはやめようと前々から決めていた。一昨日買い物に出た時にドラッグストアでサニーとアンナの写真を数葉、大判でインスタントプリント。これを贈ってお祝いにする。妊娠中から彼女の待望だったケーキも無し。後日書くことになろうが、アンナは今、乳腺炎から回復中。甘くてクリーミーなものはご法度なのだ。

 「私の誕生日が過ぎるといつも夏が終わっちゃうの」と彼女。「それに子供の頃は夏休みもおしまいだから悲しかったわ」。それはよくわかる。私も学校が始まるのを嬉しいと思ったことはなかったなあ。両親ともこうだから、サニーもそのうち夏休みの終わりを悲しく思うようになるのだろうか。いや、サニーは「勉強大好き!」と言う奇跡が起こらないとは限らない。私の父は学者だったのだから、隔世遺伝はあり得る。

 明日はサニーが生まれて早くもひと月になる。「アッという間だったわね、もうひと月だなんて信じられない」。全く同感だ。陳腐な表現だが、怒涛のように過ぎたひと月であった。出産前も大変だったが、出産後にこれほど生活が変わるとは。

 アンナとサニーは病院では一晩過ごしただけで、出産の翌日夕方には我が家に帰って来た。サニーは小児科の先生もお墨付きの健康さだったし、アンナも出血はあるけれど歩くことはできたから。「やっぱりうちはいいわあ、静かで涼しくて」。病院は相部屋だったので落ち着かず、冷房もなしで暑かったのだ。「同室のベイビーたちがよく泣いたけど、サニーはほとんど泣かなかったのよ」。お腹の中にいる頃から「完全にリラックスしたベイビー」と言われていたが、生まれてからもその性質は変わっていないようだ。母親の胎内から外界へと大きな変化を克服してくれたようで頼もしい。我々の夕食後、目が覚めたのか、サニーが眼を開けた。母親似の大きな眼だが、瞳は私と同じブラウン、そしてアジア的目尻と見事に二人のミックスだ。お尻には蒙古斑。これは私が説明するまで「産まれ落ちた時にタイルの床にぶつかった痣かと思ってたわ」。モンゴロイドには典型的な特徴と知って、アンナもほっとしたようだ。

 アンナはまだ階段の登り降りがきついので、彼女たちはダイニングのカウチで寝てもらう。私は階上のベッドを独占。かくして家族三人での生活が始まった。

 サニーとアンナがすぐに自宅に戻って来れたのにはもう一つの理由がある。家庭訪問を専門とする助産婦のバーバラが訪問を引き受けてくれたのだ。そして二人が帰って来た翌朝、初回の訪問。優しい感じの人でアンナより若いのではないか。彼女の喋るドイツ語は早くて、私は全部は理解できないが、英語が達者なので助かる。二回目の訪問時にサニーの体重を測ると、出産時より体重が400グラム近く落ちたのでベイビーミルクを与えるようにアドバイスをくれる。母乳が順調に出るようになるまでのつなぎだ。

 さっそく液状のベイビーミルクを買って来てサニーに与える。与えたのは三日ほどだったが、これを人肌に温めたり、容器を煮沸したりが私の仕事になった。夜間の授乳に備えて、この三日間は私も階下のリビングで、ござの上に敷いたヨガ用マットレスに寝て、旅館気分を楽しんだ。煎餅布団の木賃宿だが。幸い、その後母乳も順調に出るようになり、サニーは出産後12日で無事出産時の体重を回復できた。

 ベイビーミルク番は短期職だったが、他の私の仕事は大幅増になった。台所仕事は出産前からすでに八割がた私の担当だったが、100%に。加えて洗濯。以前は何となくアンナに任せていたが、これも100%。買い物、掃除は言うまでもない。庭仕事についてはアンナの不在は到底カヴァーできないが、出来る限り。アンナはサニーに付きっきりだから、それ以外の分野が私に回って来るのは当然の成り行きだ。

 特殊技能を要する専門職もある。ハエ退治だ。ちょうど彼女たちが退院して来た頃がこの夏のハエの最盛期にかち合った。私のハエ取り技術は南仏に住んでいた時に習得したもの。初期には新聞紙を短冊状に折ってハエ叩き替わりに使っていたが、これだと成功率が低い。止まっているハエを叩こうとしても、何かが近づいて来るのをハエが察知して飛び去ってしまうからだ。そこで、この習性を逆手に取って新技術を開発。ハエが止まっている場所の至近距離に両手を持って行き、空中で手を叩くのだ。ハエが飛び上がったところをキャッチ。生捕りも可能。あとは窓を開けて放してやれば良い。欠点は時間を食われること。のんびりのヴァカンス中なら良い暇つぶしにもなるが、今はただでさえ猫の手も借りたいところなのだ。たまりかねてハエ取り紙を買ってきて吊るしたが、これは見栄が最悪の上に、全く効果なし。私の奮闘は続いた。月中頃に最低気温が10度という季節外れの日があって、この日を境にハエの数が激減。私がこの特殊任務に出動する機会も少なくなった。

 この八月は日中の最高気温が30度を超える日も数日あったが、全般に適度の暑さだったのはラッキーだった。サニーが産まれる前、着せるものの持ち合わせが最小限しかないので心配したものだ。産まれてみると、おしめだけしてあとはメリノ種の羊毛製毛布を掛けておけばよかったので、これは杞憂に終わった。そのおしめも当初は市販の使い捨てのものに頼っていたが、少しづつ柔らかな小タオルを併用するようになり、今は基本このコットンのおしめになった。初めはそれを股間に挟んでおくだけだったが、サニーが元気に脚を動かすようになると、すぐ取れてしまう。そこでアンナが伸縮性のある紐を古着から切り出してきて、腰紐よろしくウエストに巻くようにした。アンナの命名で相撲スタイル。黒い紐がなんとなくまわしを連想させるので。そして裏庭に白タオルが旗めくようになった。好天に恵まれれば、あっという間に乾く。

 暑い夏が嫌いではない私は、一日のうち束の間だが「相撲用」のおしめを干しながら夏の空気を肌に感じ、エンジョイするようになった。

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