7月30日(木)<その2>

 

 アンナは助産婦のエルザに状況を説明している。額に汗。電話を切ると、「病院に行かないといけないわ」。

 我々の夢だった家庭出産は達成できなかったのかという失望感がほんの一瞬よぎったが、それはすぐに「緊急事態」の意識にとって代わられた。

 緊迫感はあるが不思議なことに恐れはない。長年の舞台経験のおかげかもしれない。

 「準備しなくちゃ」とアンナ。普通のカップルなら出産予定日が近づくにつれ、時間をかけて病院行きの荷造りをするに違いない。だが、我々は家庭出産のつもりだったし、まして今日この日に出産だなんて思いもよらなかった。だから、支度は一切していない。

 「私のパジャマ、二階の洗濯カゴの中」。上階に駆け上がるが、洗濯カゴそのものがない。うろうろ探してしまう。寝室に積み重なっている彼女の衣類の山を探るが出てこない。結局、サニーの衣類を入れている引き出しの下段に発見。

 階下に戻ると、アンナはエントランスホールの椅子にしがみつくようにしゃがみ込んで呻いている。

 どのバッグに入れていく?スーパーの赤い買い物バッグをアンナに見せると、「そんな醜いやつダメ」。こんな非常時でも美的基準に於いて妥協しないのはいかにも彼女らしい。私が衣類を入れるのに使っているグリーンのバッグ、ようやくOK

「ベイビーシート!」。

私が車にこれを設置している間、アンナが叫んでいるのが外まで聞こえる。

「書類、黄色のホルダー」。彼女愛用のバックパックに入れる。

「何着て行ったらいいかしら?」「麻のサマードレスは?」。

 私も水筒、携帯電話、非常食のバナナやナツメヤシを自分のバックパックに。

 「僕がトイレ行ったら出発だよ」。

 「ワー、来て見て、ベイビー出て来てるみたい!」

 「すぐ行く!」。

 「何か出て来てない?」。スクワットしている彼女の腰の下を覗くと黒い髪の毛が見える。頭だ。「出て来てるよ!」。

 何を取りに行ったか忘れたが、一度その場を離れた私に、アンナが「Come back, come back!」と叫ぶ。

 戻ってきてもう一度覗いた私の両手にそのヌルッとしたものは滑り落ち、そのままスライドしてタイルの床に軟着陸した。

 サニー!!!!

 出てくるなり元気に泣き声を上げる。すぐにアンナがすくいあげてピンクのタオルにくるんで抱く。サニーは泣き続けている。

 「あなた、救急車呼んで!」「番号知らない」「144よ!」。

 私の携帯からかけたが、結局アンナが話す。「すぐ来るって」。

 改めてサニーを見る。アジア人の眼をしている、が第一の印象。体全体が健康そうな桃色だ。初めて見るへその緒がライトグレーであるのは意外。出産直後に最後の血液が胎盤からベイビーに送られると聞いていたので、赤っぽい色を想像していたのだが。

 のんびりと観察している暇はない。家の前に出ると、救急車が一台、サイレンを鳴らしながら通過して行った。うちの住所をミスったのではないかと、消えて行った方向を注視するが、戻ってくる気配はない。別件だったのか。ハライン方のカーブからもう一台の救急車が現れるまでが、永遠のように感じられた。

 救急隊は三人。若い女性の隊員がもっぱらアンナのケアをしてくれる。アンナが「何でこの子はこんなに泣くの?」と訊くと、「泣くベイビーは健康な証拠。ベイビーは泣くべきよ」と彼女。「 Geburt(出産)」と書かれた救急用パッケージからへその緒を切る道具を取り出すが、アンナは切らずに待つように頼む。男性の隊員が、「切らないでゆっくりやろう」と言う。

 やがてアンナはサポートされてサニーを抱いて玄関の外まで歩き、担架に載せられる。

 「私のバッグ頼むわ」「もちろん」。

サニーとアンナを保温するために、銀色のシートを被せている。

 私は「ついて行きます」と彼らに伝えて、愛車ゴースティ号に乗り込む。普段はスピード違反さえ滅多にしない私が、厳密には違法なのは百も承知で救急車の直後について走って行くことにしたのは、自分でも何故だかわからない。その時はただそうすることしか頭になかった。大袈裟な言い方だが、愛するアンナと愛するサニー、万が一何かあった時にその場に居られなかったら一生後悔するだろう、そう思った。

 意外にも救急車はほとんど遵速で走って行く。ハラインの中心部を抜け7分ほどで州立病院に到着。

 本来、コロナ対策の面倒な手続きがあるが、救急隊の一部なので私も入り口はフリーパス。北ウィング4階の産婦人科の診療室へ。助産婦さん二人と若い女性の産婦人科医一人のティームが受け入れてくれる。幸いサニーもアンナも元気。ここまでエスコートしてくれた救急隊は移動担架を畳むと、「アレスグーテ(ではごきげんよう)」と言って帰って行く。「ダンケシェン」とアンナと二人で感謝。

 助産婦のチーフはユリアさん。私にハサミを手渡してへその緒を切らせてくれる。これをやるのが父親の栄誉(?)なのだそうだ。彼女がアンナに「プッシュして」と言い、アンナは少し呻いたがすぐに胎盤が出る。会陰部に小さな裂傷があるので、産婦人科医が麻酔をして縫合する。サニーはすぐに乳首を吸っている。アンナは出血が続いているので、もう一人の助産婦さんがその処理。出産の時刻を訊かれ、イマージェンシーコールをかけた時刻から逆算して124分ということに。ユリアさんはとても親切で英語も少しできる。アンナにリンゴジュースを持って来る。私にも、喉が渇いたでしょう、と言ってリンゴジュースを勧めてくれる。ありがたく喉を潤す。この出産について、ユリアさんに「Were you not worried?」と訊かれて、はっきり「No」と答える。アンナが顔を洗いに行く間、サニーを抱かせてくれる。初めての我が娘とのコンタクト、感無量。サニーが泣くので、胎児のサニーにいつも聴かせていた五木の子守唄を歌うと、サニーは泣くのをやめる。戻って来たユリアさんが歌を聴いて、「ああ、美しい」と言う。

 小児科の先生が来られてサニーを診てくださる。この先生もフレンドリー。全て問題なし。体重3250グラム、身長52センチ。胎内で存分に育ってくれていたわけだ。

 一連の処置が済むと個室へ。食事を探しに行ってくれていたユリアさんが戻ってきて、「残念ながら、昼食は全部出ちゃった後でした」。時刻は14時過ぎだから無理もない。地上階のキオスクにピッツァがあるというので、持って来たバナナを一本づつ食べてから、買いに行く。

 ピッツァが焼ける間に妹たちにラインのメッセージを送り、母に電話する。皆、大喜びで興奮ムード。

 部屋に戻り、アンナと遅いお昼。16時まで個室で過ごさせてくれる。これは贅沢、ありがたい配慮だ。昨晩から次々とイヴェントが起こり、ゆっくり話す間もなくここまでノンストップで来たから。二人でこの信じ難い出来事を振り返る。

 何よりも幸せなのは、サニーもアンナも元気なことだが、念願の家庭出産ができたことは正直、嬉しい。アップビートなプール(519日付)もなく、リラックスするための音楽もアロマセラピーもなく、準備した暗めのカラフルな照明もなく、新生児を包むあったかいタオルもなく、我々が想像して来た家庭出産とはずいぶん違う形だったが。しかもサニーが産まれて来たのは塩水の中ではなく冷たいタイルの床。サニーがいきなりよく泣いたのは余程のショックだったのかもしれない。他方、いまいち波長が合わなかった助産婦のエルザはいわば自主退場した形。我々二人で最後まで「水入らずの」出産をやり遂げられた。薬も麻酔もなしの「自然出産」、これが何よりの天からの贈り物だ。アンナの陣痛が本格化したのが朝5時ごろとすると、出産まで7時間。初産であることを考えると、ずいぶんの安産だと思う。四カ月前からやったマタニティヨガが良い効果をもたらしたのは間違い無いが、ヨガのあとの瞑想、一月半にわたるノーシュガーダイエット、毎日食べたナツメヤシでさえ何らかのヘルプになったのかもしれない。そして一時心配した貧血による卒倒もなし。アンナによれば、何よりも常にポジティブに安産を想像して来たことが一番よかったと言う。「それでも、『もう無理』と思った時に、あなたに、私の体を信頼しようと言われて勇気が出たのよ」とアンナ。だとすると、この時彼女が自分の体を「信じた」ことが安産の決定的要因だったのかもしれない。

 アンナとサニーが相部屋に移動したのを機に、一度家にもどることにする。「サニー生誕地」の清掃をし、そしてアンナの病院泊に必要なものを持ってくるために。加えて出来れば私も少し体を休めたい。病院のパーキングに出てくると、雲ひとつない好天。午後5時近くとはいえまだまだ力失せない太陽が燦々と陽を注いでいる。「サニー」の名前にふさわしい夏の日が、我々を祝福しているかのようだった。

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