5月5日(火)くもりのち雨のちくもり
7時前起床、低い雲が垂れ込めていて谷向こうの山は見えない。アンナは熟睡のようで、起こすのを躊躇する。玄関を出るとシジュウカラの雛たち元気に囀って、早起きを歓迎してくれているかのよう。昨夜の雨で雨水のタンクは再び一杯になった。
足マッサージのあと、アンナは寝直したようだ。のんびり朝の書き物。洗い機から食器を取り出して片付ける、こういう単調なことに喜びを感じるのはなぜだろう。近い将来、サニーが生活に加わってくれる期待からだろうか。
アンナ、階下に現れる、黒のタートルネックでなかなかシック。「今日は雨だから黒にしたわ」。
ヨガの後の朝食にそば粉のパンケーキ作ってくれる。「恒例の日曜日に作らなかったから2日遅れだけど」「あっ、ベーキングパウダー忘れた!」。私は言われなかったら気がつかなかっただろう。いつもワンパターンのオート麦のシリアルよりも、ちょっと贅沢した感じ。豊かな気分になる。
アンナ、事務仕事。職場の担当者に妊娠休暇を申請するメイル送る。続いて助産婦さんの送ってくれた資料をプリントアウトしようとしたが、プリンター機能せず。カートリッジが乾いてしまったようだ。
昼食の席で、サニーが生まれたら私は祖父だと思われるだろうという話になる。物心つくころには私は60代半ばになっているのだから、それは明らかに起こることだろう。その時、年相応の人格に成長していたいと思う。
夕刻、原稿の書き上がりを待って散歩に出る。少し肌寒いが、雨上がりの空に雲がわずかに残った陽に映えて美しい。久方ぶりに、ひとかたまりの乗客を乗せた路線バスを見かける。
今日はラッキーの三回忌だ。実はアンナは二年前に流産している。ラッキーというのはその時にお腹の子供に付けていたニックネームだ。3月初めに懐妊が判明、言うまでもなく二人とも、出産を心待ちに、喜びに満ちた日々を送っていたのだが、残念ながら育ってくれなかった。流産が確認されたのが5月の5日、ちょうど子供の日。鉢植えのタイムを買ってきて庭の片隅に植え、手前に平たい石を据えてメモリアルにした。そのタイムは陽当たりが良いせいか大いに茂り、今ではまるで以前からそこに生えていたかのような存在感を示している。ラッキーを失ったことは我々には大変なショックであった。それと同時にこの体験から学んだこと、さらにそれ以降の我々の人間としての成長は測り知れないものがある。この悲しみを乗り越えることは並大抵のことではなかったが、それ故に掛け替えのない経験であったとも言える。その過程で、しばしばラッキーのためのセレモニーを執り行ってきた。今夕は雨のあとで庭は濡れているので、以前からもそうしたように、リビングのござの上に座り、キャンドルと忘れな草の生け花を供えて、我々なりの法要を持った。二つのチベタンボウルの最後の余韻が静寂に溶け込んで行くのに耳を澄ます頃、我々はラッキーへの感謝の気持ちに溢れていた。