6月17日(水)カールスルーエ(晴れ)ー パリ(晴れ)



 早朝520分起床、ホテルのフロントで魔法瓶にお湯をとお願いすると、「お茶にしましょうか、無料ですけど」と親切。558分発ベルリン行きの特急でまずマンハイムまで。ホテル賄いの朝食ボックスを車内で頂く。魔法瓶の紅茶がティーバッグにしては香り高くて嬉しい。この区間いつもは高速新線を走るのだが、工事をしているらしく在来線を往く。初めて乗る区間だ。昇ったばかりの朝日が、草原に棚引く朝靄とコントラストを為して美しい。

 接続のパリ行き特急も空いていて、四人席のテーブルを使い、書き物をする。8時過ぎ、モーゼル川を渡って3ヶ月半ぶりでフランスに入る。車内放送の順番が変わり、仏語、独語、英語の順になる。快適な旅で昼寝(いや朝寝)も出来、リラックス。951分、定時到着。

 東駅では友人のアイルランド人B氏が迎えてくれる。駅構内でコーヒー。画家の彼はダブリンとパリを往復して生活しているが、今日午後出発とのことで、我々の予定がうまく重なった僅か数時間に会いに来てくれたのだ。コロナでどの国でもアーティスティックな動きが鈍っているが、「我々は今までサバイバル出来てきたのだから今後もその可能性は高い」と言う。彼のユーモアのセンスにはいつも感心する。彼は10ほど年上だが、「まだ20年は制作を続けたい」と言うので「それなら僕は30年だ」と同調すると、「君の職業の場合、歳を取るに従って仕事は確実に増えるね。同世代の役者は少なくなっていくのだから」。これには大笑いする。

 メトロに乗ると座席に飛び石状にステッカーが貼ってあり、「健康のためこの席は座らないようにしましょう」とあり、立ち位置も床にステッカーが貼ってある。大部分の乗客がこれを守っているようだ。

 久々の自宅。前回旅立った時は3週間で戻ってくるつもりが、3ヶ月になってしまった。布団は分厚い冬物だし、ヒーターも暖炉の前に鎮座したまま。狂言の松本さんに頂いたカレンダーを3月から6月にスキップする。トマトのミニとマックスの本家は、先頃の猛暑で残念ながら一本が枯れてしまったようだ。でも残った方は実がいくつかつき、花も咲いている。Eさんがまめに世話をしてくださっているおかげで、ここまで生き延びてきたのだ。アンナにチャットで報告して、生き残った方はマックスと呼ぶことにする。何しろ、もしこの夏を越えれば三歳になるこのトマト、マキシマル(最大限)の生命を細く長く保っているのだから。

 ヒーターを地下のセラーに片付けてから、Eさんを訪問する。氏の留守中の拙アパート管理には感謝しても仕切れない。美味しい紅茶を淹れてくださる。「コロナ以来、制作絶好調じゃあないですか」と言うと、禁足令の出ていた間が一番よかったのだそう。芸術における「制限」がインスピレーションの源泉であることは当然だが、氏のブログで見ている限り、これは事実だと思う。私とアンナが気に入った「カミュの少年時代」の現物を見せて頂く。海水と墨を使った氏独自の世界が、比較的小さな平面に凝縮され、塩分の結晶がキラキラとしかも控えめに存在を主張している。やはり現物はネットで見るのとは比べ物にならないと確認した。素晴らしすぎて、タイトルの所以をお訊きするのを忘れてしまった。

 夕食後アンナと電話。とにかく一人でいるのが変な感じ、自分のアパートのはずなのにここのキッチンで調理しているのも変、と伝える。でもこれは過去三ヶ月半の緊密生活で我々の絆がより強くなった反動であろうと思う。彼女は日中、もひとつ元気が出なかったが晩になってから制作したと言う。食事もしっかり摂っているし、ノーシュガーダイエットも問題なしとのこと。

 電話口でサニーに語りかけ、いつものように唄を歌ってから寝床に就く。パリのアパートの故、大声で歌うことは避け、マイクを口に近づけて歌謡曲風の歌い方だったが。


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